知ってなるほど!脳科学豆知識
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第3回目 フグは食いたし命は惜しし

何かを考えたり感じたりしているとき、脳の中では、神経が興奮をして、その興奮という情報が別の神経に伝わってその神経を興奮させ、さらに他の神経に伝わり…という現象が起きています。この神経の興奮と伝達は神経細胞内のイオンのバランスが変化することで生じますが、バランスを大きく変化させる最も主要なチャネル(細胞表面に存在してイオンを通す穴)が電位依存性ナトリウムチャネルです。


このチャネルの働きを妨げるのがフグの毒テトロドトキシン(TTX)です。神経の機能が抑制されるので、TTX中毒の症状は知覚や全身の麻痺などで、極微量の摂取でも死に至ります。一方で神経科学者はTTXを用い、電位依存性ナトリウムチャネルが働かない状況にして、他のさまざまなチャネルの研究を行ってきました。最近では、TTXによってがんなどの痛みを感じないようにできるのではという研究も進んでいるようです。

さて、このTTXはフグが作っているわけではありません。海中にいるビブリオ属やシュードモナス属の細菌が作っていて、食物連鎖の末にフグの体内に蓄積します。実は、フグだけではなく他の生物にもTTXを体内に溜め込んで毒を持つようになった動物がいます(アカハライモリやヒョウモンダコなど)。これらの動物は進化の過程で、遺伝子に変化が起きて電位依存性ナトリウムチャネルの形が変わり、TTXの影響を受けにくくなったため、自身の体内にTTXを蓄積しても大丈夫なのです。

人間はそんなフグをどうしても食べたいため、TTXの含有量が多いフグの種類や部位(卵巣や肝臓など)を避けて食用にしています。しかし、それだけでは満足せず、危険な卵巣や肝を食べたいと工夫をしてきました。フグはTTXを主に食餌から得ているため、陸上のプールでTTXを含まないきれいな水や餌で育てることによって無毒のフグになることが確かめられています。また、北陸地方にはフグの卵巣の糠(ぬか)漬け・粕漬けという伝統食があります。フグの卵巣を塩水と糠や酒粕に漬けた食べ物です。塩水を何年間も頻繁に交換することが毒抜きの鍵のようです。

この飽くなき欲望が生まれるときにも、危険を乗り越えようと挑戦するときにも、脳の中では電位依存性ナトリウムチャネルが激しく開いたり閉まったりして神経の活動を支えています。危険を冒すことに快感を覚えることも人間の特性の一つで、依存症や交通事故の素因になる一方、地球上に広く繁栄してさらに宇宙へと進出しようとしている人類の礎でもあります。この特性が脳の中でどのように生み出されているかについても研究が進められており、今後の発見が楽しみです。

文責:笠原和起
所属学会:日本生物学的精神医学会、日本神経科学会、他
所属機関:理化学研究所 脳科学総合研究センター 精神疾患動態研究チーム